大塚薬報 2016年5月号掲載

そうだったのか!?日本のうんちく 42
賢い江戸の小僧さん
 携帯電話がさらに進化したスマートフォンなるもの、あれが人間をどんどん堕落させているとお感じの方も多いはず。何か解らないことがあれば、すぐに画面を開いて、ピピッとやれば悔しいことにすぐ判明。「読み書き算盤」なんて言葉はどこへ行ったやら。
 読めない漢字があればスマートフォン、飲み会の割り勘の計算もスマートフォン、1日の歩数もスマートフォン。そのうちに、画面の一角に「あなたの命は残り何日です」なんて出る日も、遠くはなかったりして...。
 よく言うように、便利な物を手に入れると代わりに何かを失うとやら。どこにいてもつながりやがる携帯電話は、日本人の情緒や謙虚さをどんどん失わせ、私の読み書きの能力も低下させ...と考えていたら、江戸時代の後期辺りの商家の小僧や丁稚の方が遥かに今の私よりも優れているのでは?との想いに至ってしまった。
 江戸時代も終わりに近付こうという1800年代初頭、江戸を訪れた外国人は驚きのあまりに目を白黒、ではなく白青や白碧にしたとか。だって、酒屋の小僧や呉服屋の丁稚が字を読んでいる上に、帳簿まで付けている。さらには、その方式が現在の「複式帳簿」(もちろん、当時はそんなこたぁ知りませんよ)というのが凄い。
 当時の西欧では、「読み書き」はごく限られた知識階級のみが持つ特権だったはず。こればかりではない。版画とはいえ、商店のおかみさん辺りが「浮世絵」という絵画を所持している。お金のある旦那に至っては、茶碗に始まる骨董はもちろん、職人に自分の好みを命じて、煙草入れを帯に留める「根付」に精巧かつ微妙な細工まで施させている。美術品の収集・鑑賞は明らかに貴族の仕事だ。しかも、何代にもわたってその身分や財産を維持してきた人々だ。それを、お金持ちとは言えそこいらの町人が当たり前のように行っているばかりか、金持ちの商人に武士が金を借りるありさまだ。
 確かに、これには驚くだろう。そのおかげで、江戸は幕末近くには人口100万を擁する世界第一の都市になったのだ。これは、程度の差はあれ、100万人の人々が生活できる都市としての経済・政治・文化・教養などの力を持っている、ということで、ただ人数が多いから世界一、というわけではない。その証拠に、この時期の「識字率」はダントツで世界一だ。
 もっとも、この背景には、食うや食わずの子だくさんの親が、泣きの涙で七つ八つの子どもを「口減らし」のために奉公に出す、庶民の哀しい暮らしがあったればこそ。しかし、それを受け入れ、働きようや才覚によってはゆくゆくは1軒の店を持たせようというまでに仕込む「教育制度」が、個人の商店レベルで行われていた、というのも驚くべきことではないか。
 明治維新を経て、体系的な教育制度がようやく整った。とは言え、預かった子どもにご飯を食べさせ、商いの仕方、礼儀作法、字の読み書きを仕込み、着る物まで支給したのだから、民間の方がたいしたものだ。ただ、休日は1月と7月の「藪入り」と呼ばれる2日だけ。まあ、労働基準法などない時代だし、今のように、ろくな用もないのに歩きながらスマートフォンをいじってみたり、エスカレーターを駆け上がるほどせせこましい人ばかりではなかったから耐えられたのだろう。
 他にも目出度いことがあれば御馳走のご相伴にも預かれたし、苛められたりしながらも、先輩に屋台の焼き芋やらお菓子を奢ってもらうなど、江戸時代の「小僧ライフ」も考えようによっては今よりも遥かにストレスは少ないのではないかしらん。
 何をもって「教養」とするかは難しいところだが、中国の古典漢籍「四書五経」を読む子もいたようだ。 今どきの小学生は、夜の8時9時まで塾に通わされ、栄養ドリンクいかが?的な疲れた顔をしている。それに比べれば、青っ洟を垂らし、ひび・あかぎれをこしらえながらも子どものうちから社会へ出て大人になる勉強をしていた小僧や丁稚にこそ、今の我々が見習うべき何かがあるので は...。  なんて偉そうなことが書けるのは、もう「小僧」というよりも「隠居」に近い年齢だからだもんね。

 

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