大塚薬報 2014年12月号掲載

歴史上の人物たちの足跡をたどる 第40回<後編>北条氏康

 智謀の戦国武将として名を馳せた真田昌幸は武田信玄に20年仕えた。その間、信玄から最も影響を受けたのは、やはり謀(はかりごと)だった。後に、真田家にとって重要な拠点となる上州の沼田城攻略戦で、昌幸は鮮やかな手腕を発揮する。まず、沼田城のふたつの支城を調略によって手に入れた。その後、沼田城を守っていた武将たちを、やはり調略によって味方に引き入れ、開城させている。事前の調略で、損害を最小限に抑えながら成果を得る手法は、信玄の最も得意とした戦法だ。
 また、昌幸は"草の者"と呼ばれる忍びを駆使して、情報収集にあたったとされる。関所の通行の自由が保証された山伏や、商人などに身を変えた草の者たちが多くの情報をもたらした。これも信玄から学んだことで、少ない軍勢で敵の大軍と対峙できたり、中央の情報に精通し秀吉に接近できたのは、情報収集力の賜物といっていい。
 異論のある方もいるだろうが、策謀家の反面、昌幸の心には「義」や「誇り」への熱い思いがあったように私は感じる。
 人は一生に何度も決断を迫られる。妥協と抵抗のふたつの道があったとすれば、人は往々にして妥協を選ぶ。抵抗の選択は、つらく厳しい道だからだ。しかし、関ヶ原の戦いの直前に昌幸が下したのは、大権力者であった家康と敵対するという抵抗の道。その生き方を継いだ幸村は、家康と刺し違える一念で大坂城に入り、見事に戦って散っている。
 また、真田氏は東信濃の古くからの名族である滋野姓海野(うんの)氏の一族とされ、小県(ちいさがた)郡の真田郷が発祥の地だ。江戸時代に、大名のほとんどが家柄を格式づけるために源氏や平家、藤原などを名乗った中で、真田氏だけは代々、滋野氏を名乗り続けた。自らの出処に強い名族意識を持っていた証に違いない。
 もちろん、家康に敵対したのは、何度となく衝突した憎しみの気持ちもあったろう。諸説あるが、昌幸の妻は豊臣方の石田三成の妻の姉で、息子の幸村の妻はやはり豊臣方の大谷吉継の娘。
 一方、徳川方についた幸村の兄・信之の妻は、家康の重臣だった本多忠勝の娘。真田親子は、それぞれの義にしたがって筋道を通したともいえる。さらに、守るべき土地を守りたいという強い思い、名族の出であることを誇りとする精神を持ち続けたいという思いが、昌幸の決断には見え隠れする。
 昌幸は信之と雪村に常々、「人は利に弱い。利に誘われれば忠義の心も、死の危険も忘れる」と教えていたという。昌幸は、「利害」と「義」を使い分けながら戦国の世を生きたともいえるだろう。真田昌幸という男は、一筋縄ではいかない手強い相手なのだ。」

わが六連銭の旗印を見よ

 昌幸の義の心は、武田家滅亡の直前にも垣間見ることができる。長篠の戦いで名だたる武将が討ち死にしたため、信玄の跡を継いだ勝頼の側近のほとんどは、その二世たちだった。しかし、武田家の先行きに不安を抱き、身を捨てても主家を守ろうとする気概を持つ者は少なかった。
 昌幸は、そのような武田家の様子を冷静に見ながら、無用な発言を慎み、求められた時だけ自分の信じる意見を言った。
 秀吉からは「表裏比興の者」と呼ばれたが、昌幸にしてみれば自分の生き方に裏も表もない。昌幸の父である幸隆が考案したという六連銭の旗印は、三途の川の渡し賃として棺に入れる六文の銭のことだ。
 人間はきれいごとでは生きられない。いざとなれば嘘もつけば、人殺しもやると最初から手の内を見せ、いつでも地獄に落ちる覚悟で生きてきたと胸を張りたい。昌幸は、「わが旗印を見よ」と言いたかったに違いない。
 その一方で、武田家の崩壊が迫った時、昌幸はこうも思ったろう。
 「さて、そろそろわしも逃げるか」
 信長から寝返るようにという書状が届いたのは事実だ。その誘いに乗った者も多かったが、昌幸はそうしなかった。約束を平気で破るくせに、安易な裏切りをもっとも憎むのが信長という男だと見抜いていたからだ。その一方で、北条氏への帰属の打診もしていた昌幸である。
 絶体絶命の勝頼に昌幸はこう言うのだ。
 「堅牢な山城の、わが岩櫃城にお越しなされませぬか。1年は持ちこたえられましょう」
 武田と長く戦ってきた信濃の武将であるため、勝頼の重臣たちから昌幸は忠誠を疑われていた。勝頼を城に誘い込んで殺すつもりに違いない、と誰もがそう思った。昌幸は心の中でこうつぶやくのだ。「わしを信用できないなら、それも致し方ない」
 迷ったあげく勝頼は、昌幸を信じて行く決心をしたが、再三にわたる重臣たちの諫めに気が変わる。結局、勝頼はそれらの重臣たちに裏切られ、天目山の麓で自害するのである。
 昌幸を義の人に祭り上げるつもりはないが、窮地に立った主人のために尽力しつつ、なお自家存続のための保険もかけておく。うそ偽りのない、まことに人間的な生き方というべきではないだろうか。


真田昌幸に関する画像

TOP